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スーパーマーケットの受容の違い
ライター渡部のほうです。

現在ロンドンにおります。
普段、海外に行くとその場で見つけた情報を即座にアップ、という習慣があるのですが、今回はどうもスロースターター&ギアがロー、みたいな状況。
というのも、東京から風邪から風邪気味の間のような状態を持ってきてしまいまして、かつ、ロンドンがもともと日本に比べて乾燥している上に、えらい寒い(今日は10度から14度くらい)+時折弱い雨、というような、もう風邪を引け、と言わんばかりの天候。
普段からそんなにアクティブではないのですが、気力行動力共、前回のロンドンの1/10くらいなことになっております。
今回は「です・ます」調になっておりますのも、弱っているせいです。

って自分の話を書くつもりではなく、ロンドンのデザインフェスティバルの話を書く前に、どうも気になっている事があり、頭の整理も兼ねて、ブログにアップする次第です。

お題は「スーパーマーケットの受容の違い」です。
なんか硬いですが。
日本人の私から見るスーパーマーケットと、例えばロンドンの人が見るスーパーマーケットと、例えばインドネシアの人が見るスーパーマーケットは、いくら同じ商品が並んでいたとしても、見え方が違うのだな、ということです。

以下、スーパーマーケットをスーパーと書きます。

私は東京に住んでいて、フリーランスでもありますが、学校にもお勤めをしており、食品は野菜から調理材料から総菜まで、日用品も大体スーパーで済ませます。時間があるときは、商店街の八百屋や魚屋など専門店や、デパートなど高級な食品を求めることもありますが、概ねスーパーマーケットに依存しています。大体、毎日、あるいは2日に1回くらいの頻度で行きます。

ロンドンの都心では私と同じような人も多いと思いますが、日本人ほど生鮮品の感覚が高くないと思うので、もう少し行く頻度は低いようです。たまに牛乳だけとか、あるいは、職場からお昼を買いに行くというのはあるかもしれません。

同じくヨーロッパで、ワルシャワに行ったとき、ポーランド人の知人は「スーパー、行くのは一週間か二週間に1回」と言っていました。細かいものは近隣の小さな個人商店で買い、週末にまとめ買いをするのだそうです。
実際、ワルシャワで見たスーパーは、数も少なく、なんだか殺伐としていました。
商品の入っている段ボール(を切り取るとそのまま陳列用になるもの)がそのまま置かれ、そこからかなり適当な感じでみんな取っている。
野菜や肉など生鮮品は少なく、水、お菓子、調味料など、大量生産品がずらりと並んでいます。
シズル感がすごく少ないので、食品も工業製品だなあと思わされました。

ぐっと所変わって、インドネシア。
現在、日本企業に取って魅惑の市場となっている国、ですが、まだスーパーの数自体も少ないです。
とはいえ、2回しか行ってないんで、断言できないんですが、比較的大きな地方都市のジョグジャカルタを見る限り、市場や個人商店のほうが活気がある。スーパーが少ない。スーパーに行っても人が少ない。
似たような感触は、マレーシアのクチンでも感じました。
スーパーマーケットを探すのに一苦労。そして、青白い蛍光灯が食品をえらくまずそうに見せていた、という印象です。

これまで20数カ国を回って、個人商店、市場、スーパーマーケット、ドラッグストアなどを見てきましたが、個人商店の数が多く、市場に活気がある国や地域のスーパーマーケットは商品の動きが鈍く、パッケージも工夫が足りない感じです。

そもそもパッケージなんか興味ないんでは?とふと考えてみたのですが、ひょっとして本当かもしれません。

例えば、ものすごーく昔の記憶を辿って1970年代。
新潟市在住、ワタクシの母親は、普通にスーパーも利用していましたが、肉は肉屋、魚は魚屋(あるいは浜の漁師さんから直接)、野菜は朝市で、というような買い物で、スーパーの生鮮品は全然信用していませんでした。実際、スーパーの野菜は高い上にまずそうでしたし、総菜なんてもってのほか、でした。
スーパーは、大量生産品でしか手に入らない、調味料とか洗剤類とか、そういうものを買いに行く場所、だったと記憶しています。
今のように新しい製品がシーズン毎に出るわけでもないですから、買う物も決まっています。パッケージもほとんど変わりませんでした。
日本津々浦々、1970年代はそんなものだったと思います。

これって今のジョグジャカルタだったりクチンだったりと同じことなのでは、と思い始めました。
今のインドネシアやマレーシアのほうが、当時の新潟市よりはるかに物がありますが。

長年母親業をやってきて、一家のご飯や、薬のような役目を果たすもの(日本だったら風邪の時の卵酒とか、ショウガ湯とか)をずーっと作ってきた世代の人から見ると、作り手の分かる食品と、作り手が分からない工業製品であるところの食品では、随分違って見えるはずなのです。

いつ誰が作ったか分からない。
何が入っているか分からない。
そんな若干の不安感を抱いていると思います。

とはいえ、ものすごい勢いで経済発展している東南アジアなので、今70才の人、50才の人、30才の人、10代の子供達、では、全然感覚が違うはずです。
また、首都圏と地方都市でもかなりの違いがあると思います(いくらネットが発達して情報が回っても、物理的距離というのは大きいので)。

日本人はいつからスーパーの野菜や肉や魚を信用するようになったのか、その理由はなぜか、というのは複数の理由があります。
80年代に入り、経済的に急激に発展した(ので、商品のバリエーションが増え、新しい商品が続々登場し、高い食品もばんばん買うようになった)。
単身世帯が増えた。共働きが普通になった。(買い物はお母さんの仕事、とは限らなくなった)
交通網が整備され、流通のスピードやあり方が変わった。(スーパーマーケットの生鮮品の鮮度が上がった)
個人商店が減った。
など。

東南アジアでもいずれこういう状況になるのでしょうが、日本と同じタイムスパン、同じ理由になるのかは分かりません。
また、ポーランドの例を出しましたが、同じ東欧でもプラハのスーパーは賑わっていたし、もともとの風土気候や、お国柄も関係してくるでしょう。

私はスーパーの商品が好きですが、スーパーだけが発展して、個人商店や市場が寂れていくのは悲しいと思っています。
スーパーにしろ、市場、個人商店にしろ、商品の肝となるのは

いつ誰が作ったか分からない。→分かる。
何が入っているか分からない。→分かる。

ことだと思います。
オーガニックの市場やショップが発展しているのは、スーパーマーケット大国のように思われているアメリカや、その他、スーパーが発展しつくしている欧米諸国の都市部です。

いつどこで、誰が、どのように、何を使って作ったのか分かる。
こういう商品、食品がどこの世界でも支持を得る。と考えてみると、なんとなく、これまで行って来たスーパーのはやり具合や閑散し具合に納得がいきます。

あんまりまとめになってませんが、そろそろ夜用風邪薬を飲んで寝ます。
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by dezagen | 2013-09-20 08:44 | プロダクト・パッケージ