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ツバメノート
ライター渡部のほうです。

先日(といっても、かなり日が経ってしまったが)、ツバメノートさん www.tsubamenote.co.jp に取材に行って来た。
定番のツバメノートの「大学ノート」
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「これ、誰がデザインしたの?」
ずばりな質問を抱えて。

ツバメノートといえば、アーティストの鈴木康広さんがアイデアノートとしてつかっていることで知っている人も多いかも(鈴木さんは中無地のタイプ)。
鈴木さんは学生の頃から使っていたそうだが、周りで使っている人の話を聞いてみると、社会に出てしばらくして、さて大人にふさわしいノートはなんだ、と行き着いたのがツバメノートという人が多いようだ。
理由は書き味のよさ、そして大人が持ってもいいと思わせる落ち着いた表紙裏表紙のカバー。

今回はそのカバーを誰がデザインしたのか、をツバメノートの専務取締役、渡邉精二氏に伺ったのだが、これが驚きの「通りすがりの人」という答えなのだった。

時は1946年、戦争直後のお話。
戦前の1936年から文具卸業を営んでいた渡邉初三郎商店の社長、初三郎氏(精二氏の祖父に当たる)は物資不足で粗悪なノートが出回る中、質のいいノートを作ろうと考えていた。
そこにふらりと男性が現れる。
「この家に光が見えたので、やって来た」とその男性は言う。聞けば、易者などをやっている人物だという。「自分はデザインのようなこともできるから、是非ノートの表紙を作りたい」と男性は言い、数日後、ノートの表紙案を持ってきた。それが採用され、現在に至る。
という話なのだ。

えっ!そ、その人の名前は?
「しかるべき謝礼を払ったようなのですが、その人の名前も連絡先も記録にないんです」と、精二氏。
そんな通りすがりの人物が作った表紙が、60年を超えるロングセラーとして現在も使われ続けているのだからすごい話である。
今聞くと不思議な話だが、戦争直後の混乱期、多くの書類が焼け、紛失し、役所も機能していたのかしていなかったのか分からない。身分証明を持てない人も多くいた時代である。ましてやデザイン(当時は図案と言うべきか)の仕事をしていた/いる、ということも過去作ったものがなければ、あったとしてもどう証明したものか、確認のしようもなかった。
どこの誰なのか、よりも、今何ができる、を問われた時代。この無名氏は、初三郎氏の期待に応えた図案を持ってきた、それだけで十分だったのだろう。

60余年の間の変更点といえば、独特の味わいを出す毛入りのグレーの表紙。この専用の紙は、もともと羊毛を使っていたが、現在はポリエステルの毛であること、くらいだそうである。

現在は大学ノートの他、各種サイズのバリエーション、ユルリク www.yuruliku.com や SwimmyDesignLab www.swimmydesignlab.com とがデザインを提供したノートや、雑誌「ダンスファン」、野鳥の会など外部からの発注を受けた商品なども作っている。
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こうやって並べて見ると、細部は異なるものの、大学ノートがスタンダードとなって発展していることが分かる。

おまけ。
かなりレアなものをもらったので、その写真を。
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ツバメノートが独自に開発、現在も使っている「ツバメ中性紙フールス」は、過去透かしを入れた紙を使っていたが、その紙を作っていた会社がなくなったため、現在は透かしなしの紙になっている。
今は使われていない、透かしが入った紙。

この透かしに使われているのはツバメノートのシンボルマーク。
ツバメのマークは誰がデザインしたのか、こちらも不明だという。
ツバメの要素は、当時「燕さん」という方が営業をしており、会社のほうにも「ツバメさんのノート」として注文が来たことや、1950年から64年まで運行されていた特急列車「つばめ」にも掛け、「ツバメノート」の名前が定着し、後に社名にもなったことから。
また、ツバメの背景にあるのは朝日の図柄。当時、浅草にあったアサヒビールの工場から初三郎氏が朝日のマークを思いつき、このマークに至ったという。
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by dezagen | 2013-10-28 16:39 | これ誰取材記事