エキサイトイズム エキサイト(シンプル版) | エキサイトイズム | サイトマップ
<   2015年 04月 ( 7 )   > この月の画像一覧
ブリュッセルで見たパッケージ
ライター 渡部のほうです。
ブリュッセルにいます(明日帰ります)。

アメリカではスーパーマーケットの商品の大きさ、多さにばかり目が行ってしまいましたが、さすがにヨーロッパはアメリカほどではないので、パッケージデザインの表現に目が行きます。

b0141474_3463666.jpg

どん!きのこ。
乾物類のパッケージ。と言われないと分かりにくいですが、これくらい直球なパッケージでもいいような、というか、かっこいい。

b0141474_349628.jpg

売り場で小さい男の子が欲しそうにしていた、スプレー洗剤。
なるほど、おもちゃのガンっぽい。
洗剤は強さが売りなので。

b0141474_3533272.jpg

マシーンエイジな感じのマスタード。菱形のロゴは質実剛健な感じがします。
マスタードに質実剛健もないだろうけど。

b0141474_3553634.jpg

台湾の調味料にもあったのですが、ボトルの曲面を活かして顔を付けると、なんとなく愛着が湧くもの。
塩ですけどね。マトリョーシカ。でもって、オランダの塩でしたけど。

b0141474_357653.jpg

しばらく私を悩ませている、世界のマヨネーズはガラス瓶か逆さまプラスチックボトル、チューブなのか、はたまた日本のやわらかポリエチレン容器がいずれ台頭するのか、問題。
ベルギー人はマヨネーズ好きらしく、マヨネーズの種類はびっくりするほど多かったのですが、圧倒的にガラス瓶。ライト、タルタル、他スパイスなどをミックスしたマヨネーズソースになると逆さまプラスチックボトルが多いようです。

b0141474_434861.jpg

2人の中国娘。後ろの娘が前の娘の脇の下を抱えているように見えるのは、「おいしすぎて倒れちゃう」「だめだめ、しっかり」みたいな会話がなされているのでしょうか。
(写真が分かりにくいのでHP http://www.soubry.be/foodservice/beschuiten-bloem-nodig-soubry-en-anco-bieden-u-de-juiste-oplossing/soubry-chinese-mie のリンクです)

ベルギー、ブリュッセルに本社を置くDelhaizeは、東欧やインドネシアなどで展開している大手チェーンです。
ここはプライベートブランドのグラフィックが上手。
オーガニックラインや高級ラインなどいくつか(HPによれば6種)のバリエーションを揃えていますが、一番安い「365」というシリーズが一番いいような気がします(個人的主観)。
イラストレーションが明快で、分かりやすい。
b0141474_463799.jpg

b0141474_47041.jpg

最初見たときは、白地が多すぎてびっくりしましたが、他の365商品も一緒に見て行くと、棚にあるざわついた商品群の中で白さとイラストレーションと丸ゴシックの書体(書体なんだろう…宮後さーん!)が引き立ちます。

これはちょっとガムに見えてしまったけど。
b0141474_4285082.jpg

タンポンです。
日本の生理用品にもこれくらいのあっさり加減が欲しいところです。

ブリュッセルのスーパーマーケット商品観察。以上です。
[PR]
by dezagen | 2015-04-28 04:32 | プロダクト・パッケージ
デザインについて思うこと その2
宮後さんの「デザインについて思うこと」のレス(?)。
渡部より。

90年代より前と後では「デザイン」の言葉の意味や、位置が随分違う、と感じています。

話がぐっと遡ってしまうのですが、産業革命があって、モノが大量生産され、グラフィックにしてもそれまでのビラとは異なる大衆に向けて作られる様になった時に、機能や習慣/慣習を超えた何か=デザイン=形、というアピールがなければ効果が出なかった。
そこでデザイナーという職種が発生します。
形が消費者など受け手に訴求する、という考え方は現在でも続いていますが、
宮後さんの言う通りで「王道的なものを中心にとりあげていく」(その時代では、王道的なものをフォローしていく)ことに「おさまりきれないものも増えてき」た。

王道が中心を行く時代というのは80年代がピークなのではないかと思います。
その時代までは「大手企業」があり「マスメディア」がものを言う時代で、スターデザイナーも求められました。
ですが、現在、大手やマスメディアがどんどん崩れている。

80年代以降、ウィークマンやビデオの普及で個人化した消費者のニーズがばらばらになってきたこと。
コンビニエンスストアなど業態の変化もあり、朝起きて夜寝るという、皆が同じ行動を取るわけではなくなってきたこと。
インターネットの普及で、一つの現象やモノやコトが、個に向けられているのか、大衆に向けられているのか、曖昧になったこと。などが理由として挙げられます。

今の学生は90年代生まれですから、子供の頃からメディアは「自分」に向けられているし、クラスや家族や地域など、自分が収まる集団の全員が同じような環境や情報で育っているわけではない。
スターがいたとしても、私にとってはスターでも、隣の人にとってスターというわけではない。
「昨日のあれ見た?」という会話にしても、時間を気にせずに流れていくネットの中では「昨日」という時間の感覚もなくなっている。

このような状況だと、上から(メーカーや小売り店、イベントなど)大衆に訴えるというやり方自体が変化を起こしているのです。
単純にものの形を変えた、いい形ができた、からと言って、大きく人が動くわけではない。仕組み自体、やり方自体を考えることが「デザイン」になってきているのです。

分かりやすい例として、2007年に登場し(日本では2008年)たiPhone。
電話としては使いづらい形だし、ネットの情報を見るにも、メールやメッセージなどの送受信をするにも最適な形ではありません。
手帳と変わらないようなフラットなデザイン、無味無色なデザインは、ユーザーに応じた様々な機能(app)を取り込む媒体機械でしかありません。

アプリの話で言えば視覚的なものという意味ではグラフィックデザインなのですが、操作性はインタラクティブに強い人、テクニカルに強い人、かつ、キャリアを確保すること、それを流通させる人、ある一定のユーザーがいることで成り立つSNSなどはさらに広報が一体にならないと、アプリが目指す機能は発揮できないかもしれません。

学校の授業ではそこまで総合的な仕組み作りまで踏み込めないかもしれませんし、また一方で従来通りの「美しい書体」「見やすい色彩」「使いやすい形」「チャーミングな絵」といったものをきちんと修得した人材は必ず必要です。
その得意分野を見つけた上で、機能する仕組み、やり方を考える。ここまで頑張りたいと思います(私、先生なので)。
[PR]
by dezagen | 2015-04-18 23:12 | その他
デザインについて思うこと
編集宮後です。学校や職場で新生活を迎えている方も多いことでしょう。デザイン学生さんも読んでいると思うので、これからのデザインの話を書こうと思います。

いまちょうど90年代以降の日本のグラフィックデザインを振り返っているのですが、この四半世紀で環境が激変したんだなというのをあらためて感じています。デザイン史というと自分とは縁遠いものと思われる方も多いかもしれませんが、おつきあいください(詳しくは『IDEA No.369 : 日本のグラフィックデザイン史 1990-2014』をどうぞ。四半世紀を俯瞰できる良い記事です)。

雑誌や本でデザイン史を振り返るときは王道的なものを中心にとりあげていくことになりますが、そこにおさまりきれないものも増えてきて(というか増えすぎていて)、2000年以降のデザイン史をまとめるのはとても難しい(というかまとめらんない)のを感じています(まとめられたとしても紙媒体ではなく、ウェブかアプリになると思います)。以前は、「グラフィックデザイン」「プロダクトデザイン」…というように、ジャンルで分けられていましたが、いまはそうしたジャンルもあいまいになりつつある気がします。一部の専門性の高いジャンルは残ると思いますが、他ジャンルと協同する機会が増えていくように思います。

というのも、いままでは個人の優秀なデザイナーや縦割り集団で対応できていた案件でも、今後は複数のエキスパートの協同によって、より完成度を高めていくような対応の仕方に変わるのではないかと思うからです。社会やテクノロジーの進化がすさまじいため、異種混合の団体戦でないと対応しきれない。大手IT企業や広告代理店などが、異分野のエキスパートを採用しているのもそうした社会変化に対応するための対策でしょう。

そうした変化の中で、デザイナーやデザインに関わる人たちはどうしていったらよいのか。いままでの成功パターンをなぞるのではなく、まったく新しい活動の仕方が求められてくるでしょう(もちろんそうした今までの成功パターンがなくなるわけではありませんが、メインストリームではなくなるでしょう)。既存のデザインジャンルを否定するつもりはないけれど、これから活躍したり、注目されるデザイナーはそうしたジャンルの外から出てくるような気がします。

そうなると、学校教育や雑誌などのメディアのあり方なども再考をせまられそうです。すぐには変わらないと思いますが、変わらなければいけない時期に来ていることは確かでしょう。

まだ形のない「未来のデザイン」を考えていくのは大変そうですが、同時にとてもエキサイティングでもあります。違うジャンルとデザインが交わる部分に、これからのデザインが現れるのではないでしょうか。
[PR]
by dezagen | 2015-04-16 23:38 | その他 | Comments(0)
ハミルトン・ウッドタイプ・ミュージアム
編集宮後です。現在、5月に発売される『Typography』の準備中です。次号は、日本と海外の活版印刷所と活字の博物館の特集。いろいろ取材したのでお楽しみに。

その中で、現地取材はしていないものの、メールなどでやりとりして書いた記事があるのですが、ページの都合で掲載できなかったので、こちらで紹介することにします。

アメリカ・ウィスコンシンにある世界最大の木活字博物館「ハミルトン・ウッドタイプ・ミュージアム」です。

記事なので、ここだけ「である」調ですが、以下引用します。

 150万ピースの木活字を収蔵する世界最大規模の博物館「ハミルトン・ウッドタイプ・ミュージアム」。木活字だけでなく、金属活字とその鋳造設備や書体見本帳も備え、活字の保存だけでなく、製造や印刷も行う印刷工房として現在も稼働している。2014年にウィスコンシン州ミシガン湖のほとりの現在の場所に移転し、広さも従来の2倍、45000平方フィートに拡張された。

 木活字博物館の母体は、1880年にJ. エドワード・ハミルトンが設立した木活字製造会社J.E. Hamilton Holly Wood Type Company。当時、家具などの木工品をつくっていたハミルトン氏が地元の要請で木活字をつくり、会社にしたのが始まり。ウィスコンシンの森にたくさんあった楓の木を使い、木活字を製造していたという。ハミルトンの木活字は価格が安かったのと、大都市に発注するよりも早く供給できたので、19世紀末に爆発的に売れたそう。

 博物館は、ハミルトン社があった場所に15年前に開館。木活字の製造にたずさわっていた元従業員や地元のボランティアたちによって運営されている。そうしたスタッフに支えられ、現在でも技術が受け継がれているのはすばらしいことだ。

 毎年、何千人という人が博物館を訪れ、見学だけでなく、木活字を使った活版印刷を実際に体験している。デザインを学ぶ生徒がタイポグラフィの勉強に訪れたり、アーティストが作品をつくったりすることもあるそうだ。ワークショップ、活版工房のレンタル、アーティストレジデンスも活発に行われ、現在では地域にとっても重要な施設となっている。

b0141474_2128885.jpg

b0141474_2128184.jpg

b0141474_21282329.jpg

Photo (C)Lester Public Library.


(連絡先)
Hamilton Wood Type & Printing Museum
1816 10th Street, Two Rivers, WI 54241
http://woodtype.org
冬期(11月1日〜4月30日)10:00-17:00 日月休み
夏期(5月1日〜10月31日)冬期の開館曜日・時間に加え、日曜日も13:00-17:00開館。ほか年末年始や国民の祝日は休館。
営業時間内なら自由に見学でき、午後にガイドツアーあり。公共の交通機関がない場所にあるので、移動には車が必要。
[PR]
by dezagen | 2015-04-13 21:29 | これ誰取材記事 | Comments(0)
カトマンズ、アブダビ、シンシナティ、デンバー、東京 何もない土地


カトマンズ、アブダビ、シンシナティ、デンバー、東京紀行の続き。
アブダビとデンバーについて。

アブダビもデンバーも、経由地としての滞在。
今回のアブダビは、カトマンズでの空港閉鎖解除直後のためフライトの時間がずれ(滑走路での渋滞、という結果)、成田行きの便への乗り継ぎがうまくできず、次の日の便となったため、急遽航空会社の用意したホテルに1泊することになったわけです。
ピカピカの道路を抜けて、ピカピカしたリゾートホテルへ。前者のピカピカは新しさ、後者のピカピカは金色が随所に施され、ツヤツヤしたインテリアだからなのですが、電力供給の制限があり暗く、道路が舗装されていないところも多いためにほこりっぽく、家具や建物は古びても修理できない、そんなカトマンズから行くと、すべてが光って見えるアブダビなのでした。
アブダビの都市部はこの十年ほどの間に急激に都市開発を行っています。今回泊まったホテルも10年経ってないはず。

アブダビは数年前に土地開発について取材に行きました。http://blog.excite.co.jp/dezagen/13718948/ 
主に2020年頃完成予定(完成予定年は随時変わっています)のサディヤット島についてでしたが、ルーブルやグッゲンハイムの別館、大学や居住地域、リゾート地域など、砂漠だった27平方kmをまるごと0から都市開発する規模の大きさに驚いた覚えがあります。27平方kmは2700ヘクタールなので、大体多摩ニュータウンと同じくらいの大きさのようです。

海に面した砂漠の地、アブダビから8197マイル(自動計算を信じれば)、北アメリカの内陸部、デンバー。
デンバーの都市部ではなく空港近くのホテルに泊まったのですが、ここがホテル10軒とガソリンスタンドとセブンイレブンしかない一画。ホテルはハイアットやマリオット系列、ホリデーイン、ベストウエスタンなどよく知られた名前ばかり。多分出来て1年くらいなんじゃないかと思いますが、ホテルの区画から出るともう360度地平線。
振り返ると何もないんじゃないか、などとSFのような事も起こりそうな雰囲気です。

少し前までそこには全く何もなかった「未開の地」にできたホテル群と店なのですが、どのお客さんも戸惑っている風はありません。
車を降り、荷物をホテルに運び、部屋に行って寝るのです。当然のようにベッドがあって、シャワーがある。シャンプーも石鹸も何の戸惑いもなく使う。
コンビニエンスストアはまるでいつも使っている店かのように、キットカットを買い、ペプシを買って行きます。
ここでは知らない土地に来たドキドキ感もなく、その土地柄や風情を楽しむ旅行気分もありません。土着感、あるいは外国だと感じるエスニック感はありません。なぜならば、ここは(ホテル従業員やコンビニの店員は別として)誰にとっても単なる経由地であり、そこでは誰もが迷いなく行動できるような環境でなければいけないからです。ここで土着的なもの、知らないブランドばかりが並んでいたら戸惑いがあり、時間がどんどん消化されてしまいます(観光地はそんな風に土着的なものを見せて、人を留まらせます)。しかし、経由地では人をスムースに動かさなければいけないのです。ホテルにしろコンビニにしろコンビニの棚に並ぶ商品にしろ「誰もが」知っているブランドで人々の認知を速くすることが求められるのです。

「誰もが」と書いていますが、この「誰もが」というのは、世界全体で見ると限定された「誰も」ではあります。
この「誰も」「誰でも」に関しては、それだけで1年間くらいの講義になりそうなので、ここでは割愛。
なんとなく、多くの人が、と思って下さい。

アブダビで泊まったホテルの隣のショッピングモール。スーパーマーケットには、コカ・コーラやマギー、ジレットやラックスといった世界各国どこでも見るインターナショナルブランドに溢れていました。アブダビで泊まったホテルは、今回私は経由のためでしたが、本来リゾート+ビジネスを目的としたホテルですから、デンバーのセブンイレブンとは違って、スーパーマーケットの利用客もゆっくりと買い物はできます。ですが、石油以外の資源はほとんどなく、自国メーカー、ブランドが育ちにくいことに加え、人口の7割は世界各国からやってきた外国人であることを考えると、アブダビの自国ブランドが育つのを待つよりは、インターナショナルなブランドが入ってくるほうが早く、訴求力も高いのです。

アブダビのスーパーマーケットとデンバーのセブンイレブンでは規模も違い、細かい品揃えは異なるのですが、共通項として
新しい土地にある新しい店だからと言って、新しいものが受け入れられるわけではない事が言えます。
むしろ、新しい場所にある品揃えだからこそ、既存の品揃えが求められる。
ホテルも同様で、新しい場所だからこそ、チェーン店のほうが分かりやすく受け入れられる。
チェーン店とインターナショナルブランドの組み合わせでできた場所は、世界のどこにでも存在していてクローンみたいです。
[PR]
by dezagen | 2015-04-12 14:31 | その他
カトマンズ、アブダビ、シンシナティ、デンバー、東京 物の質の担保について
カトマンズ、アブダビ、シンシナティ、デンバー、東京巡りの話の続き。

ネパールは国内国外産に限らず、製品は物の質がお世辞にもいいとは言えない。
ペットボトルは薄くて、自立しているので精一杯な感じすらします。
b0141474_8475012.jpg


鍋、ザルなどキッチン用品は溶接手作りで、よく見るとサイズやパーツの着いているところバラバラ。
青いプラスチックのお弁当箱は着色剤がよく混じっておらず、水色マーブルになっているのがむしろ味というべきか。
靴を買おうとしても、表示されているサイズが必ずしもその靴のサイズだとは限らないようで、履いてみるまで分かりませんでした。

大きなメーカーはないけれど、小さい工場や、洋服のテイラーなどは商店街の中に多くあります。

結構びっくりしたサッシ工場。サッシって手で作れるんだ…。考えてみたら当たり前だけど。
金属パーツを小さい工場で加工。規格化されていない窓でも対応できる良さはある。
b0141474_8481473.jpg


普段、東京で物を買う時、日用品や食品はスーパーマーケットなどでパッケージを見ながら「ブランド」「物の量」「質」などを確かめ「値段」を見て買います。ですが、カトマンズではパッケージがなくて、物そのものと対峙せざるを得ない。お店の人にどれだけ知識があるか、自分にどれだけ物を見る目があるか、かつ、値段は適度かどうか確かめる力を試される。なかなか買い物も大変、と思っていたのですが、意外とそうでないかも。

例えばスパイス。
おばさんの顔が怖い写真になってしまいましたが、カトマンズのスパイス屋。店先のスパイスを計り売りし、その場で挽いてくれます。日本の米屋と同じ感覚。
b0141474_8484098.jpg


シンシナティ、クローガーのスパイス。
b0141474_849040.jpg


当然、スーパーマーケットでスパイスのことを説明してくれるおばさんはいないわけで、クローガーのプライベートブランドを信じるしかないわけです。中身を開いて香りをいちいち確かめているわけにもいきません。書いてある商品名を信じ、賞味期限を信じ、パッケージのあらゆる情報を信じて買うしかない。
こうやって一つ一つパッケージに品質を担保していかなければ、という行為に比べると、店先のおばさんに「これどうなの?」と聞いたり、実物を自分で見て確かめられる商店のほうが楽なのかもしれません。

日本ではこれまでほとんどの場合、S&Bやマコーミック、ギャバンなどスパイスに特化したメーカーのブランド力を信じて買って来たのですが、今後プライベートブランドの範囲が広がるにつれ、メーカーではなく小売店への信頼、そしてパッケージの信憑性が重要となってきます。
ただブランドとして全体を見た時にまとまりがあればいい、というものでもない。パッケージの責任重いです。
[PR]
by dezagen | 2015-04-02 08:50 | その他
カトマンズ、アブダビ、シンシナティ、デンバー、東京 物量について
ライター渡部のほうです。

3月は、想定外でネパールの首都カトマンズに6泊、トランジットでアラブ首長国連邦のアブダビに1泊、間に東京を挟んで、アメリカのシンシナティに4泊、トランジットでデンバーに1泊。
環境の全く異なる場所を移動して、価値観のありよう、その多様性について考えさせられました。

かなり各国経済の状況が異なるので、目安として各国の名目GDP、及び1人当たりのGDP(IMF調べ、2013年)を比較してみると
GDPは188カ国中、ネパールは108位、アラブ首長国連邦は29位、日本は3位、アメリカは1位。
1人当たりのGDP(USドル)はネパールが169位(692.46USドル)、アラブ首長国連邦19位(44,551.97USドル)、日本24位(38,467.79USドル)、アメリカ9位(53,000.97USドル)。あくまで参考まで。

アメリカ到着時、最初に考えていたのは、カトマンズの価値観でシンシナティに来ると、あまりの物の多さ、大きさに目が回る、です。

当初カトマンズはトランジットのための滞在予定でしたが、ちょうど帰国の日、3月4日に空港でターキッシュ エアラインズの着陸事故があり、空港が復旧するまでさらに4泊することになってしまいました。
「(事故自体は大したことがなかったもの)空港にクレーンがなく、事故機が移動できない」
「人力で移動させる」
「ブルドーザーで動かす」
「それは待てとターキッシュ エアラインズから連絡が来た」
というようなニュースを見るにつけ、よほど物資がないのだなあと感じます。
そんなことに感心していても何も起こらないわけで、さすがに自分の生活物資も心許なくなってきたところなので、物資を求めて商店街へ。

スーパーマーケットのような業態もありますが、基本は商店街や市場。その日、その時に必要な分だけを買うのが普通です。
カトマンズでは自国製よりインド産、中国産のものが多く売られています。そもそも、自国のメーカーも、電気や道路、ゴミ処理などあらゆるインフラが整っていないため、大量生産が難しく、流通網も限られ、メーカーと言っても小さい規模でしか成り立ちません。

そんな小さいものを小さく売る、買うという場から一転、巨大なシンシナティのスーパーマーケット。

インスタントティー 1ガロンパック。
b0141474_7434382.jpg

冷蔵庫に入れて家族で飲むのだろうなあと思っていたら、鞄にぶら下げて持ち歩いていた人もいました。えーっ。

まとめ買いペン。
b0141474_7442248.jpg


ペンはしょっちゅうなくなるものなので、これくらいまとめ買いしてもいいのかもしれないです。
オフィス街に近いところに滞在していましたが、文具店は見つけられず、普通の文具はスーパーマーケットかドラッグストアで買うしかない。

鉛筆削り12個。
b0141474_7461342.jpg

こんなに使うんだろうか…。

単純に東京からシンシナティに行っていたら「余計だな」と思っていたはずなのですが、今回はネパールの物資状況を見ていたため、単純に物量の多さに憧れすら感じました。
生活の質の観点からすると、物がふんだんにあるということは、必ずしも豊かさの象徴ではありませんが、やはり目に見えて多い、大きいというのは圧倒的な力があるのでした。
[PR]
by dezagen | 2015-04-02 07:51 | その他