日下弘 後編です
----------------------------------------------
有力情報とは、福音館書店の
『こっぷ』復刊。
文:谷川俊太郎、写真:今村昌昭、AD:日下弘。
中のページもとびきりオシャレで、大人が見ていても楽しい。
『こっぷ』巻末のプロフィールでやっと手がかりを。
すでに亡くなられていたとは残念だった。しかしここであきらめず、日下弘とはどのような人だったのか、夫人の日下福美さんにお話を聞きに言った。
日下弘は1956年に芸大専攻科を卒業後、河野鷹思のアトリエ・デスカを経て、58年に独立。赤坂に事務所を構えた。
夫人の日下福美さんは66年から68年に日下弘のデザイン事務所に勤務。『帽子収集狂事件』ディクスン・カー著など、いくつかの文庫のクレジットにも、旧姓の「片平福美」で載っている。
創元推理文庫のカバー装画クレジットには、日下弘+誰それ、というクレジットも結構ある。むろん日下ADのチェック、手入れも入るのだが、事務所スタッフがデザインした場合には、きちんとそのスタッフの名前も入れていたそうだ。
と、創元推理文庫の話ばかりしてしまったが、日下弘の仕事において創元推理文庫は氷山の一角。
「ウエストミンスターレコードやコロンビアなどのレコードジャケットやマイペットのパッケージなども手がけていましたが、もともと萩原朔太郎に傾倒していた文学青年で、本に対しての思い入れがあったんでしょう。本の装幀の仕事がほとんどでした」
と、それまでに手がけた仕事の一覧を見せてもらうと、図鑑や文学全集、雑誌シリーズも1つと数えて300件以上を手がけている。創元推理文庫では約280点を作成したとあるが、これも一つと数えてであるから、相当な量である。
仕事のいくつかを見せてもらって気が付いたのは、創元推理文庫で見せる色数を絞ったコンポジションは、あくまで一つのスタイルでしかなかったこと。
文学全集はそれぞれの作風に合わせ重厚に、図鑑はボールドで分かりやすく、とそれぞれの本に合わせたスタイルにまとめている。いずれも完成度が高く、本という媒体を知り尽くし、その中にあるエッセンス、あるいは時代の空気を引き出すのがとびきりうまい。
昭和40年代前半の「家庭画報」を始め、女性のライフスタイルや料理に関する書籍も多い。伝統美とモード、純文学や詩、こうした美しいものを愛したデザイナーだった。
「お酒が好きで、社交が好きで、ホームパーティーをよく開いていました。
性格は芸術家肌というのでしょうか。気むずかしいところもあり、気に入った編集の方とは長くお付き合いするのですが、ちょっとでも気に入らないと全く仕事しない。また先生気質でもありましたね。博識で、一つ聞くと20くらい答えが返ってくるんです。結婚してからもずっと先生というイメージは消えませんでした。
まだまだできるという年齢で死んでしまったのは残念だと思いますが、高度成長期に精一杯仕事をして、バブルがはじける前に逝って、ある意味では幸せな時代を生きたんだと思います。
人生の後半に東京学芸大学、大学院美術学部の教授となり、多くの学生の心を捉えたようで、亡くなって20年余り経っても慕って下さる教え子の方が多く、色々心配りをして下さることは大きな遺産だと思っています」
昭和を駆け抜け、モダンなデザインを作り続けたデザイナー、日下弘。その作品が『こっぷ』と一部の古本でしか見れないのはあまりにも惜しい。
期せずして、現在発売中の『SFマガジン』(早川書房)8月号の大橋博之コラム「SF挿絵画家の系譜」にも日下弘が取り上げられている。ひょっとしてブームの兆しなのかもしれぬ。『デザインの現場』と『SFマガジン』提携企画で日下弘特集をやったら面白いのに、というのは私の妄想だが、ありえないこともない。
Despite my research I had very little information about Kusaka, but finally found a short description about him in "Koppu (Japanese world for drinking glass cup)" a recently reprinted book from 1976 by Fukuinkan Publishing. Sadly Kusaka had already passed in 1989.
Kusaka graduated from Tokyo University of Arts in 1956, worked for
Atelier Desuka of Takashi Kono and had his own design studio in 1958 in
Akasaka.
His works consist of more than 300 contracts and the work for Sougen
Suiri Bunko is one of them. When you consider that the number of
illustrations he supplied for Sounge Suiri Bunko alone was about 280
pieces, you can imagine how many pieces he did.
I would love to see a retrospective or detailed catalogue of his work.